西三川砂金山
西三川砂金山は、平安時代の「今昔物語集」にも登場したと推定される、佐渡最古の砂金山です。西三川では、「大流し(おおながし)」と呼ばれる砂金採取が行われました。集落周辺の山の各所に堤や水路、砂金を採るために山を掘り崩した痕跡が良好に残っています。
鶴子銀山
鶴子銀山は、1542(天文11)年に発見されたとされる佐渡最大の銀山です。600カ所以上の採掘の跡が確認され、時代の異なるさまざまな掘り方を見ることができます。また、鉛を使って鉱石から銀を取り出す灰吹法などの技術が石見銀山(いわみぎんざん[島根県太田市])からもたらされました。
相川金銀山
相川金銀山は、江戸時代に本格的な開発が始まりました。大量に生産された金や銀は貨幣として利用され、国の財政を大きく支えました。
また、採掘から小判製造までが同じ場所で行われていた鉱山は国内でも佐渡だけであり、その工程を鮮やかに描いた鉱山絵巻が100点以上も残っています。
佐渡島の金山関連年表
西暦 | 年号 | できごと |
---|---|---|
12世紀 | 平安時代 | 『今昔物語集』に能登の人が佐渡で金を採取したと記録される(西三川砂金山) |
15世紀 | 室町時代 | 世阿弥が佐渡に流され、『金島書』を書く |
1542 | 天文11年 | 鶴子銀山が発見される |
1601 | 慶長6年 | 相川金銀山が本格的に開発される |
1603 | 慶長8年 | 大久保長安が佐渡代官になる |
1604 | 慶長9年 | 佐渡奉行所がつくられる |
1621 | 元和7年 | 佐渡で小判の製造が始まる |
1653 | 承応2年 | 京都から水学宗甫が来島し、水上輪の作り方を伝える |
1696 | 元禄9年 | 延長約1kmの南沢疎水道が完成する |
1759 | 宝暦9年 | 佐渡奉行所に寄勝場が設置される |
1868 | 明治元年 | イギリス人鉱山技師ガワ-が来島し、火薬発破法を伝える |
1869 | 明治2年 | 佐渡金銀山が明治政府直営の鉱山になる |
1872 | 明治5年 | 西三川砂金山が閉山する |
1946 | 昭和21年 | 鶴子銀山が閉山する |
1989 | 平成元年 | 佐渡鉱山が操業を休止する |